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私の馬鹿な人生をよく見て、私と同じ窮地に陥らないように、考える材料にでもしてね。


正社員就職編





私は岐阜の林業の短期の学校に進学したのだった。
そこは寮はなく、私は近くのアパートを借りた。生活費は、アルバイトはせず、親に仕送りをしてもらっていたのだった。
そこの学校はきわめて少人数であり、一学年の定員が二十三人くらいで、私の年は二十人くらいの入学人数であった。
そして、私の年でその学校は無くなる事になり、次の年からは同じ土地の中に全部木で建築された新しい学校が開校することになったいた。
そこは林業というか、森林や自然関係全般のことを教える学校なのでした。
だから私が通ったその林業の学校は、実質、私の年で廃校になったのであった。

もともと森林関係の実験機関が入っている三階建てくらいの建物の上のフロアを学校として使っていたので、
廃校になってもその建物は存在し続けるのですが・・・

オイラの年は全員男性のみでした。ほとんどが18歳でしたが、社会生活を送ってから入学してきた者も数人おりました。
そのメンバーは、まあ、みんないい人達でした。私はけっしてクラスのリーダーのような存在ではありませんでしたが、
何とか、けっこう仲良く出来ていました。自炊や掃除は大変でしたが、初めての一人暮らしをなんとか頑張っていました。

学校では、色々なところに見学に行ったりした。森林組合とか、木材加工工場とかに行きました。
卒業前の旅行は、カナダに行きました。そこで、カナダの木材関係のところとか、観光などをしました。
その時は、高校の時の修学旅行みたいに事務的な付き合いではなく、冗談などを言って打ち解けながら旅行できました。
まあ、でも相変わらず単独行動などして、ホームステイした家の人に、
映画館まで送ってもらって、一人でパールハーバーという映画を観ました。
全部セリフが英語で、雰囲気で話の展開を読むしかなかったのですが、でも考えてみれば、周りがみんなカナダ人で、
おそらく私一人だけが日本人だったので、なんか神風特攻隊みたいだな。よく単独で行けたよな、俺。

そういうふうにして、学生生活はまあまあだったのですが、でも、林業については、入学してわりとすぐに熱意を失ったのでした。
もともと林業をしたいから入学したというよりも、神奈川県から去りたい、
というか、都会から去りたいと思った部分が潜在的にあったように思います。
だから、私から言えることは、中学生・高校生の諸君、もっとよく考えなさい!ということです。

でも、まあ、最初から順風満帆だったら、今みたいに他人を哀れむことが出来たかどうか・・という部分の気持ちもあるけれど。

18歳になり、入学した年の夏休みに、近くの自動車教習所に普通自動車免許を取得しに行きました。
そこは卒業生の事故率は低いのですが、その分厳しいことで有名らしい学校でした。

そこでは三人の教官が一人の生徒を共同で受け持ち、交代で指導するという形でした。
そこで、私はヤンキーみたいな先生と、メガネを掛けた温厚そうな太った先生と、
一番年輩の星野監督みたいな人の指導を受けました。

はっきり言って、私は下手でした。自動車の運転は下手でした。
だから、恐ろしく怒られました。別に年輩でもなく、18歳のガキなので、容赦なくしかられました。

ヤンキー先生は、僕が教習所内を走っていると、いきなりブレーキを踏み、
「オイ、今、標識無視したよな」なんて、日本刀みたいな鋭さで言って、それで一瞬で車内の温度が零下まで下がりました。
当時の俺は本当に恐ろしがったようである。そのような印象がある。
本当にキツイのである。

又、太った先生は、笑いながらキツイことを言いました。
「おーい、サイトー、今の交差点は逆だろー、逆」なんてゆうふうに。

ヤンキー先生もきつかったが、星野監督みたいな教官が一番きつかった。
ヤンキー先生の指導も凍りついたが、この先生の場合は蛇に睨まれたカエル状態になった。
本当に怖かったように思う。なんか、職員室を覗いても他の先生はそんなに怖そうではないけど、この二人は本当に怖かったのである。
君、なにを今までしてきたの、みたいに言われたのである。
それだけ下手だったのである。覚えも悪いのだった。
ああ、でも、それも精神の修行の内だったのだな、うん。お蔭で強くなった。

それに、下手なのに簡単に卒業させてくれるような学校では、結局は駄目なのだ。
肝心なのは卒業生が無事故で交通ルールを守るドライバーになることなのである。
だから、その鬼のような指導も、私には必要だったのだ。だから、私は今まで無事故である。壁に擦ってしまったことは何回もあるが。
それで、自動車学校卒業後に、母親の祖父が母親の為に貯めていた百万円を貰い、それでデミオの新車を買ったのでした。


そんなこんなで、私は林業の学校を卒業する時期に来て、どこかに就職しなければならなくなりました。
本当は、たしか林業関係に進もうとは思っていなかったような気もするが、
でも特に他に行くところもないので、就職しなければならなかった。
まあ、世間の人から言えば当たり前だろうと思われることですが、私はそれまで本当に甘やかされたというか、
世の中を知らない、アルバイトも二日間だけチラシ配りのバイトと、二ヶ月間くらいガソリンスタンドのバイトをしただけでしたので、
甘ちゃんだったのです。その時は、まだ私は積極的に自分の道を行くという気概は無かったのです。
まあ、進むべき進路も見つからなかったのですが・・・

だから、ある木材関係の工場に就職することにしました。
就職先の人からは「こんな優秀な人をありがとうございます」なんて言われたようだが、
その学校の成績なんて、無いに等しいのである。ある授業の時なんか、七割がたが居眠りしていたような気がする。
その時の外来の先生なんか、「私は本当はここには来たくないんですがね」なんて言っていました。
だから、テストというものはあったが、そんなのは一夜漬けやら二日前からやれば簡単に高得点の取れる代物だったように思う。
まあ、中学・高校のテストも同じようなものか・・・若い脳みそだから直前に詰め込むだけでけっこう得点が獲得できるのである。
でも、そんな勉強方法では身につく訳がなく、私はそこそこの成績は取れていたが、まるで理解していなかったのだ。

そんで、卒業後、その会社の寮に入りました。
そこの寮母さんは、五十歳くらいの人でした。まあ、いい人といえばいい人でしたが、けっこうキツイこともありました。
まあ、低い給料で十人くらいの社員の面倒を見る訳だから、ストレスも溜まると思うがね。

で、オイラは工場で働き始めました。そこでは同じクラスからもう一人入っていて、その人も寮に入りました。
いやぁ、キツイ。僕が世の中を知らないアマちゃんだったというのもありますが、しかし新入社員の定着率がとても低い会社で、
まあ、あんなにキツくては納得なのですが、フィリピン人やブラジル人が多く働いていました。
オイラ、世の中を知らなかったから、そこは当たり前だと思っていたのかも知れないが、
テレビなどで他の工場の風景などを見ると、やっぱりそこはとてもキツイ印象です。

俺の親は俺に金を与えるだけで、世の中のことや社会制度のことを何にも教えてくれなかったからな。
それでもってしっかりやれなんて、それは無茶な話である。道徳教育などされた記憶はない。
休みの日は家でテレビを見ているだけでした。まあ、今の両親を見ても、そんな期待は出来ない人達なのだが。
島倉千代子さんも、世の中のことを何も知らずに、保証人になって大借金を背負ったってテレビで言っていたけれども、
そういう部分こそ、学校や親がしっかり教えるべきだと、今では思います。

シルバー人材センターから派遣されたあるおじいさんに、僕が専門学校を卒業したことを伝えると、
「え〜、あんた大学卒業してんならこんなとこ来ちゃ駄目だよ!」なんて言われたし。
まあ、大学じゃないけど、おじいさんの言わんとするところは、今の俺からしたら納得でござる。

それで、寮生活は、まあ、サンマを一匹ではなく半分でいいですとか、ドンブリにたっぷりよそられて準備されていたカレーの量が多いとか、
なんかそんなことを私が言ってしまって、ケンカになってしまった。
「おばさんはそんなことまで頭が回らないよ!」とかなんとか言われて・・・
いや、でもいい人でした。少ない予算でやりくりしないといけないからね。そんなに一人一人に別メニューなんて用意できないしね。
まあ、一緒に近くのスーパーに買い物に行ったりしたし・・・そう、別に悪い人ではないのでした。
私も勿論カンに触るようなことを言っていけないのですか、でもおばさんももう少し寛容心があればよかったのになぁ。
それで、風呂掃除の最中にあんたの郵便物で呼び出されたとか、あんたは郵便物が多いとか言われて、険悪になり、
それで私は近くにアパートを借りることにしました。

それで、まあ、なんとかゴタゴタの末にアパートを借りられた。
そこから自転車で工場に通うことにしました。入寮して一ヵ月半程度で出てしまった。

そして、就職してすぐは、工場の仕事を簡単に一通り回らされたが、今度は場所を固定された。
私は木製のある製品の修理の部門へ配属されたのであった。
そこの部門は赤字で、フォークリフトの免許を持っていたから、そこになったのだろう。
そこで、私はさんざんしごかれました。いや〜、本当にきつかった。
フォークリフトでその製品を運ぶんだが、俺は下手で、どうしても器用な動作が出来ない。
フォークリフトの微妙な操作というか、機敏に動けませんでした。
それで、そこでテキパキと働く先輩と比べられて、あいつは使えないみたいに陰でも表でも言われて、辛かった。
本当に、いや、これは自分自身でしか解らないことで、他人は表面的なことしか見れないから解らないだろうが、
本当に俺の人生は辛い部分、辛い割合が多い気がする。まあ、だからこそこんなサイトを開設するようになったんだけれども。

そこのフォークリフトはオンボロで、ギアチェンジが出来ないのだ。
もう二十年以上前のような代物であった。それで、ギアを入れようとするとポキっと折れて、その度に修理業者を呼んでいたな。
まあ、その会社は色々なことに手を出していたのだが、まあ、俺のいた部門はもう廃止にすべきだと思うが、
しかし中規模の企業であり、その部門を廃止するとお得意様の大企業との他の部門の取引にまで影響するとかで、
やめるにやめられなかったとか聞いた気がする。まあ、経営者も大変だね。

俺も大変だった。その修理した製品をフォークリフトで積み上げるのだが、それが高さがうんと高い。
フォークを目一杯上げないと積み上げられないし、又、それが不安定なのだ。
製品と製品の間には乾燥する為に小さなコマを挟むのだが、それが難しくて、しばしばガシャガシャと崩れた。
空間も狭くて、隣と隣の積み上げた製品の間隔が十センチくらいしかない部分もあった。
それで、高さが十メートル?くらいにまで積み上げるのだから、大変だ。

崩れたら、自分一人でどうにかしなければならない。
そこの上司は、まあ、冷たい人で、うん、そうだな、冷たい人だった。オイラはそう感じた。
だから、暗くなってたった一人で、崩れた製品をまた一人でせっせとフォークリフトのライトをつけて積み上げていました。
ああ、その時のオイラの心情が理解できるかい?
工場のすべての部門の人が帰って、オイラだけ、たった一人でそれを積み上げたり、それにペンキ吹きかけたりしたんだよ。
ペンキなんて、風で自分の顔にかかったり、つけてた腕時計にかかったりして、メガネにもかかった。
黒色のGショックが、緑色のペンキで迷彩模様になったり。黒色の墨が顔にかかって、黒人みたいになったり・・・

自動で製品を作るという機械も、しばしば壊れて、ああ、もうすべてがオンボロだった。
まあ、買い換えるお金がなかったのだろう。あんまし儲かってなかったみたいだし。
俺のボーナスは年間月給三か月分と求人票に書いてあったが、実際は夏5万5千円であり、冬は4万5千円であった。
その製品がまた重たくて、それを一人でひいひい言いながら移動させたりして・・・
それで、さんざんお前は出来ないとか、遅いだとか、怒鳴られた。
ああ、辛かった。ツラカッタ。

それで、まあ、その部門で優しかった先輩も、その会社を辞めてしまった。
まあ、うん、そうだな、それが賢明かも・・・なんて言ったら失礼なのですが、ね。うん。
それで、ブラジル人のフォークリフトの操作が上手い人が別の部署から転属されてきたのだが、
その人も、もっと儲かる別企業の工場に行ってしまった。

それで、そこには、フォークリフトを主に操作する人は、俺と、冷たい上司だけになりました。

それで、しばらくはオイラは頑張っていた。
まあ、その上司も少しはおとなしくなった。まあ、こんな役立たずの俺でも、もう他にはいないんだし・・・

ああ、でも、もう無理だったのだ。俺はそこで一生を過ごすのは、そういう気にはなれなかった。
だから、まあ、本社の担当者に電話する時は、せみの抜け殻みたいになりながら電話したのだが、辞めると伝えた。
それは、入社してから一年後くらいであり、辞めたのはそれから二週間後程度だったと思う。

良かった。辞めて良かった。オイラの人生に限って言えば、辞めて良かったのだ。
あの企業では、結婚、出産、子育て、老後、というイメージが描けなかったからね。

それで、辞めてからは、アパートにいました。
それで、ろくでもないことですが、絵を描いて売ろうとか思いついて、名古屋まで行って画材を購入して画いたりしてみましたが、
やっぱり素人であり、路上で売る勇気もなく、そんなふうにして時が過ぎていきました。

貯金はありませんでした。







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