自殺サイト自殺方法自殺霊自殺
当サイトは自殺と犯罪を霊的な視点から止めさせるサイトです。
私の馬鹿な人生をよく見て、私と同じ窮地に陥らないように、考える材料にでもしてね。
高校卒業まで編
私は母親の実家に近い長野の病院で生まれ、一ヵ月後、父親の実家のある神奈川県の湘南のある地域にやってきた。
そこで、小学四年生まで祖父母の家で両親と祖父母と私と妹二人で暮らしていた。
その後、両親が家を買い、近くのある地域に越してきた。
私は、はっきり言って、小さい時のことはほとんど覚えてはいない。
もともと記憶力が良くないのである。
なので、覚えているエピソードだけを紹介する。
私は、そう、小学生の低学年だったか、小学二年生だかいつか、そのくらいだと思う。
当時、私は自転車に乗る練習をしていて、フラフラしながらもなんとか運転していた。
そして道路を進んでいたら、運転ミスで道路脇に止めてあった自動車に激突してしまった。
自動車の中には誰もいなかった。そして、自動車の運転席側のドアが少しへこんでしまった。
私は、そのまま逃走し、友達と遊びつつも、警察官が逮捕しにこないかビクビクしながら暮らしていた。
小学3年生頃、伊豆の保養施設に泊まった時、椅子の上に乗り遊んでいたらバランスを崩して落下し、頭を強打したこともある。
血をボタボタ垂らしながら一階のフロントまで行った記憶がある。その時のじゅうたんがどうなったのかまでは、記憶にない。
また、いじめられたこともある。
祖父母の家にいた頃、山の上にある小学校に通っていたが、その下り坂を私が逃げていく記憶がある。
しかし、いじめられた記憶はまだある。
私は学校のトイレの個室に入った。
よく覚えていないのだが、その時、大をもらしてしまっていたからなのか、又は何度も拭いたからなのかは覚えていないが、
とにかく大量のトイレットペーパーを使用し、流したのだった。
すると、当然詰まってしまった。そして、溢れてきて、男子トイレ中に水が溢れてしまった。
そうしたら、みんなに気付かれて、わいわい騒がれた。私は個室から出られなくなってしまった。
外ではトイレの入り口に生徒が大勢集まり、誰だ誰だと騒いでいる記憶がある。
そして、その中の誰かが乗り込んできて、上から覗いてきたような・・・
その時の俺は青ざめただろうな。今の俺なら「ああ、御免ね、スマン」で済ませられるが、当時の俺には絶望だったかも知れないな。
その後、まあ、馬鹿ガキ共のことだから、私に対してそれに関連したあだ名などを付けたのだろうな、覚えていないが。
あと、トイレに間に合わずに大をもらしてしまったこともある。まあ、そういうことはけっこうあるだろう。
小学生の時は、学校で便をすることが恥ずかしいなどというくだらない風潮があったから、我慢してしまったのだろう。
その頃の私は、今のように自分独自の道を歩むことが出来ずに、周りに合わせなければ生きていけないような者だったのだろう。
また、よく覚えていないのだが、その頃は、近くのゲームセンターで遊んだり、友達とザリガニ釣りや化石採集に行った。
ちなみにザリガニ釣りが出来た沼地は今は道路になり、化石採集が出来た土地は今は住宅地になっているようだ。
ということで、祖父母の家にて暮らしていた時の記憶はほとんどないのでこれで終了する。
次に、両親が買った数駅離れたところの一戸建てに越してきてからのエピソードを紹介する。
越してきて、当然新しい小学校に行く訳だ。
そこでの記憶もあまりないのだが、前の小学校よりかは多くの記憶がある。
まず、そこでも私はいじめられていたように思う。
正確に言えば、クラスの立場で言えば、下の中か、あるいは下の上あたりである。
皆さんも小学生や中学生を体験しているからある程度は理解できると思うが、クラスには立場というものがある。
つまり、クラスの誰からもいじめられる、又は無視されるような人がいる。
そして、頻繁にいじめられはしないが、よくからかわれたりして、立場の弱い人。
次に中間層、クラスでの立場が強くも無く弱くも無く、中間の位置にいる人。
そしてクラスのイベントなどを引っ張っていく人物、クラスの幹部クラスの人がいる、まあ、そいつが善人とは限らないが。
そして一番強いような、人物として立派とかではなく、とにかく一番立場が強い人物がいる。
その中で、私は頻繁にいじめられはしないが、よくからかわれたりして、立場の弱い人であった。
越してすぐに、私を好きな人がいて、つきあってはいないが、なぜか周りから冷やかされた記憶がある。
別にその子は好きではなかったのだが、その頃の私は、明確に拒否することが出来なかったのだ。
まるで人間失格の葉蔵みたいな奴である。なんか、道化を演じていたというか、演技らしいことをしないと生きられなかったのである。
心の中で思うことを明確に表明できずに、周囲に合わせないといけないように思っていたように、思う。
太宰治だけの話ではないのである。そういう道化を演じなければならない立場の子供がけっこういるのである。
今の俺は完全に豹変したけど、な。
越してすぐかな、ランドセルを持たされて歩かされた記憶がある。
今から思えばなんでもないような奴なのだが、その頃の俺はそんな奴にさえ従わなければならないほど精神力が弱かったのである。
そいつはクラスでも中間層程度の奴なのである。なのに、その頃の俺は精神力が貧弱だったのと、越してきてすぐだったこともあり、
友達が欲しかったのだろう。そいつにペコペコというか、家来みたいな立場になっていたのである。
今の俺の精神が当時の俺の身体に宿れば無敵なのだがな、まあ、そういう訳にはいきませんな。
あくまで精神は今を生き、今と共に強化されていくものだから。
まあ、友達も出来た、ことは出来た。友達の家に行き、ファミコンをしたり、サッカーをしたりしていた。
まあ、ごく普通の小学生か。
その他のエピソードは、よく覚えていない。よって小学生はこれで終わり。
次に中学生に行く。
中学生では私はサッカー部に入部した。
小学生では野球をしていたのだが、投手をやっても五球に一球しかストライクが入らなかった。
これでは初回で四球のみでコールド負けしてしまう。それほどコントロールが悪かった。
一塁をやっても、ミスばっかりした。送球を捕球できずに、後ろへ流してしまったのだった。
だから、野球選手は無理なので、諦めた。そして、ちょうどその頃、Jリーグが熱狂していたので、サッカー部に入った。
サッカー部では、一軍と二軍の中間層あたりをうろうろしていた(三年時)のだった。その程度の実力だったのだ。
まあ、一年生当時は二年生や三年生がレギュラーなので、下手な私は試合には出られなかった。
実力のある一年生は一軍に先発していたが、そういう人は小学生から地域のサッカーチームで練習していた者達であった。
私は中学からサッカーを始めたので、下手なのだった。一応、小学校のグラウンドでドッジボールのボールでお遊びのサッカーはしていたが。
やがて三年生が卒業し、二年生になると、まあ、二軍の試合には出られるようになったと思う。
二軍の試合は、一軍の試合に出られない部員が、それでは可哀相なので出場させてもらえるものである。
一応、他の下手な同級生同士ではなかなか上手い方であったが、それでも一軍の選手と比べれば下手だった。
中途半端な実力である。だから、三年生になって一軍の試合に後半から出さしてもらっても、中途半端な働きしか出来ないのである。
ヘディングで競り合うなどというのは、怖い。スライディングなんか出来ない。サッカーはグラウンドの格闘技と言われるが、
まさしくそうである。今から思えば、よくもあんな激しく危険なことをしていたものである。
それに、私と同じく中学生からサッカーを始めた者がいたが、そいつは私よりも練習量が少ないのに、私よりもはるかに上達したのである。
ああ、まあ、それが才能、身体能力の差というやつか。やっぱりスポーツ選手というのは持って生まれたモノが必要なのである。
だから、三年生になった時は、練習をサボって家に帰り、銀河鉄道999の再放送を楽しみに見ていたのであった。
中学一年生では、まあ、一回だけ電話で告白などされたのであった。
しかし、その子は好きではなく、別に好きな子がいたので、お断りしたのであった。
あぁ、本当にあまり思い出せない、記憶力が悪い、小学生の時の、あの椅子から落下し頭強打事件のせいで脳がやられたのかな?
それとも、嫌なことばかりだったので自ら抹消しているのかな。まあ、乏しい記憶を辿っていくとしよう。
ある時、一年生で泊まりの実習かなんかをしたことがあった。
それで、男子で風呂に入り、なぜか知らないがクラスのある女子が入り口のところで呼びかけ、
私が応対して、その時にチンチンを見られて、それで後日、あいつのチンチンは小さかったとかなんとかクラスで言いふらされた記憶がある。
まあ、確かに今でも小さいけれど・・・
とまあ、それで、その時の私は激怒し、クラスの椅子などを蹴り上げたりした、ような記憶がある。
そして、私はその時の担任の女性の先生にそのことを話し、先生は放課後に私とその女子を呼び、三人で話し合った。
そして、今後一切私のペニスのことは言わないことを誓わせてくれたのだ。
いい先生である。私は高校卒業まで何人かの担任がいたが、この先生がベストである。
まあ、他の生徒には不人気な面もあったと記憶しているが、私にとっては素晴らしい対応をして頂いた、金八先生よりもいい先生である。
その他のこととしては、最大最悪のことがある。
ある日、一年生の後半だったか、ある友達と一緒に帰っていると、
途中で私の体毛が濃いなどという話になって、私はひどく気にしてしまった。
それで、その日、私は体毛を剃ってしまった。ああ、なんてことをしてしまったのであろうか。
それで、体毛がないとないで、また変なのである。剃った後は、細い毛ではなく、太い毛になってしまった。
それで、大変気持ち悪くなってしまった。私はそれで死ぬほど悩んだのである。それは二十四歳頃まで悩んだのである。
抜いたり、雑誌に載っていた脱毛液を高い金を出して親に内緒で買ったり、体毛が薄くなるというローションを買ったり
ミキサーを購入し体毛が薄くなると評判だったパイナップルローションを作ったりして、とにかく悩んだんだ。
それで本気で自殺しようと思ったくらいである(今から思えばそんなことで自殺したら恥ずかしいにも程がある)。
それでも私の男性ホルモンは強力だったので、まるで効果がなかった。だから今でも体毛は濃いし、胸毛もかなりあるのである。
それもこれも、はっきり言う。メディアのせいである。
断言させてもらうが、メディアは大きな罪を犯している。
今では体毛のほとんどないツルツルの男子がかっこいい、ヒゲの薄い、女性の頬みたいな男性がかっこいいみたいな風潮がある。
事実、メディアに登場する男性アイドルというのは、どいつもこいつもツルツルの男ばかりである。
ジャニーズもツルツル少年しか採用しないではないか。体毛の濃いジャニーズなんかいるか?胸毛があれば不採用なんだろうな。
でも、男なら体毛があるのは普通ではないか?もちろん、体毛の濃さは生まれながらのものであるから、
体毛の薄い男性がかっこ悪いなどとは言わない。それは逆差別になってしまう。
でも、メディアはツルツルの男性・男子しかかっこいいと言わない。
子供の頃からそう思い込まされている人は、子供の時も、大人になってからも、そう思い込んでいる女性が多い。
サンマさんの番組で、ある不細工とされてヒゲの濃いお笑いタレントが出演していた。
その時、サンマさんは、その男性に「お前はヒゲが濃いから可哀相やなぁ」みたいなことを発言していたが、なんで可哀相なんだ?
事実、俺は木村拓哉みたいな男よりも、俺の方がタイプと言ってくれた女性を知っている。
まあ、ソープランドという施設で働く風俗嬢だったのだが、その時の言葉は本当にお世辞ではなかったのである。
まだまだ言わせて頂く。これはメディアにより固定化されたかっこいい男という概念に対する挑戦であり、
過去の俺のようにメディアの作り上げたかっこいい男の範疇に属さなくて悩んでいる男達・子供達の為にも、さらに攻撃させてもらう。
メディアのいうカッコイイ男、そんなものに当てはまらなくとも、気にするな!
俺は木村拓哉などカッコイイとは思わない。モップみたいな頭だし、馬みたいな面である。
他のジャニーズの奴らも、チャラチャラした奴らばかりである。見た目だけで内面が無い。
いや、俺の基準で言えば、見た目も駄目だ。俺のカッコイイ男の基準は高倉健やゴルゴ13みたいな男だ。
あんな髪をダラダラ長くして、髪の毛を金髪だの赤髪だのに染めた奴は、カッコ悪い。
俺は戦前の男みたいな男をかっこいいと思うからだ。
世の中のジャニーズファンが何と言おうと、そんなの知らない。俺はお前らにモテようなんて思っていないからどうでもいいよ。
ツルツル男しか好きにならないのならそれでよい。日本人は一億二千万人もいるし、外国人と結婚してもよい時代なのだ。
なにも、そんな奴を相手にする必要はない。
メディアなど気にするな!
あいつらはある固定概念を生み出し、それにそぐわない人達に脅迫概念でもって、
固定された概念に収まるような商品を売りつけたいだけだ!結局はメディアは営利企業なので、金儲けが主なのである。
例えば、二重じゃないといけない、美しくないなどと宣伝し、そういう風潮を生み出し、二重にする手術患者を獲得しようとするのだ。
体毛の濃いのはカッコ悪いなどと宣伝し、脱毛商品や抑毛商品を売りつけるのもそうだ。
ファッションだってそうだろう、今年の流行などというものを生み出して、その商品を買わせようとするのだ。
だから、もう俺は知らない。メディアなどという三流精神には一々反応しない。勝手に他の奴らを踊らせればよい。
まあ、こんなんで、体毛のことから発展して長く演説してしまった。
それでは本流に戻るとする。
そうだな、中学の他の出来事と言えば、そう、あれは中学三年生の時であった。
その時の担任が技術という科目を担当する中年の男の教師であった。
技術という科目は、まあ、ハンダゴテやらで工作をしたり電流の流れの公式を学んだりするものである。
それで、工作室での授業の時は普通に工作の実習をしたのだが、
その先生の教室での授業の時は、しばしば関係の無い話で一時間が終わったのだった。
俺はナチスのマントを持っているだの、バイクの話だの、風俗にはまってしまった友達の話など、色々、無関係の話をするのである。
生徒に「○○さん、今日もなんか話して〜」なんて言われて、またずるずると無関係の話をしてしまうのである。
生徒の方は技術の授業よりも、その先生の無関係の話の方が楽だし楽しいからうまく誘導するのである。
それで、ある日、珍しくその先生がまともに授業をしようとした時に、私は教科書を忘れているのに気付き、
隣の休んでいる友達の机から教科書を拝借しようとした。机の中をまさぐり、教科書を取り出したその時、その先生が言った。
「おいおい、お前なにしてんだよ」なんて。俺の席は一番前だったから、丸見えだったのだ。
私はそれが特にいけないことだとは思わなかったのだが、その先生は勝手に欠席している生徒の机から取り出した行為を問題視したのだ。
それで、その授業は初めから終わりまで、俺に対する説教で終わった。
よく覚えていないが、内容は、こんな奴がいるから世の中が駄目になるだとか、お前の行為は泥棒だとか、まあ、散々にこき下ろされた。
その時の俺は、ググッと我慢するしかなかったように思う。
授業の終了後、周りの友達が「気にすること無いよ」みたいに励ましてくれたが、今でも覚えていることを思うと、
当時は相当ショックだったと思われる。でも、でもだよ、みんな、今の俺は別にその体験は嫌な思い出ではない。
その時は大変辛かったが、よい教訓になったな。黙ってモノを借りてはならない、ということが。
要するに、本当に為になることを言う先生は、その時は嫌われるのである。将来になって感謝されるのである。
ハッキリ言って、その先生の道徳のレベルが高いとは思わない。別に金八先生みたいな理想的な先生ではない。
しかし、その体験についてだけで言えば、よい説教をしてくださった。ありがとう。
お蔭でタフになれたし、よくぞ俺の為に一時間も費やしてくれた。その時は辛かったが、今ではよい思い出である。
他の思い出・・・うーん、本当に覚えていない。
ああ、そうだ。中学では、小学校とは少し違い、俺のクラスの立場も少しは上がったのだった。
積極的に冗談などを言えるようになり、友達も多くいた。けっこうサッカーなどをして遊んだな。
女子とも、まあ、それなりに話せるようになったのだ。
あとは・・・やっぱり思い出せないので、中学編もここで終わりにします。
次に高校編です。
高校は、学力レベルで言えば、中の下くらいの学校に進学したのだった。
高校では、もうさすがに野球やサッカーなどという激しく競争のあるスポーツはしなかった。性に合わないのだ。
だから、まあ、中学からの友達が入部したというのもあり、ワンダーフォーゲル部(登山部)に入部した。
登山部は、少人数であった。先輩方も数人しかいなかった。二年生がいなくて、三年生が卒業後は俺達だけになった。
それでも、毎日ではなかったが、一週間に一回くらい、高校の周りをランニングしたりして、トレーニングした。
それで、月に一度、近くの丹沢という山に登ったのだった。冬場は危険なので行かなかった。
登るのはキツイ。何せ身軽な装備で登るのではない。結構な重さの装備で登るのである。
もちろんエスカレーターなどない。ろくなトレーニングをしていないので、キツイのである。
ただ、頂上に登った時の眺めは、素晴らしかったと記憶している。
うん、まあ、俺はやっぱり他人と競う競争系よりも、登山みたいな自分と闘うものがよいな。
それで槍ヶ岳なども登ったのであるが、それも何日間も山の中であり、寒い環境でテントを張り、飯の支度をしたりして、大変なのである。
ちょっとした、素人向けの自衛隊の訓練みたいな感じかな。とにかく、いくらきつくても、歩かないと目標地点に到達できないし、
到達できないということは予定日に下山できないということで、サボることは出来ないのです。
ひー ひー、 だから、根性の無い人には登山部は最適かもしれないな。なにせ山の中では逃げられないのだから。
俺は登山中はきつかったが、登山部に入ってよかったと思う。精神力が強化されたし、
過酷な体験をすることにより、後々、さらに過酷な体験をしても、なんとか耐えられるくらいのタフさは身についたように思うから。
とまあ、部活はそんなところでした。
次に部活以外の高校生活についてだが、これはもう、最悪といってよいかと思う。
何せ中学よりも高校時代の方が最近なのに、中学よりも記憶がないのである。
嫌な記憶は脳が抹消したのかな、とにかく、よい思い出など、なし!
よく、青春時代、高校時代に帰りたいわ、なんて言う人がいるが、俺の場合はあんな暗黒時代には帰りたくありません。
親しい友達がいた記憶がない。部活で一緒の友達は別クラスだし、同じクラスになった時も、俺はクラスではそんなに話さなかった。
クラスではいつも一人で弁当を食べていた気がする。三年間ずっと。俺にとっては魔女狩りみたいな時代だな。
とにかく、浮いた存在でした。どのグループにも属せず、昼休みはいつも図書館で本を読んでいたように思う。
ああ、嫌な時代。逃げられるのなら逃げたかったが、逃げられるところもなかった。逃げ場なし。
ちょっと不良みたいな、陰湿なグループの仲間に入れてもらおうとしたこともあったが、やはり質が違うのだ。
その人達とは打ち解けられないのだ。性質が違う。俺と性格の合う人物など、いなかった。
いつも一人だった気がする。
人通りのない理科室の前の廊下などをうろうろしていたような、でも記憶があいまい。
トイレもわざわざ人がいない閑散とした離れみたいな場所のトイレを使っていたような気が・・・
ああ、この時期の俺は、小学校や中学校の時みたいに、無理をして、道化を演じてまで、周りに合わせるということが不可能になっていた。
そんなことは出来ない。いつまでも太宰みたいには出来なかったのである。だから、素が出て、素になったということは、
俺の素とは変人のようなものなので、誰とも打ち解けられなかったのである。
一人で小さなベランダみたいなところに行き、ずっと景色を見て、時が経つのをボーっと待っていたような気がする。
俺の時代の高校生といえば、付き合ったり、進んでいるやつはセックスなどをしたりしていたのだろうが、俺の場合は孤独の牢獄だったのだ。
齋藤健一 孤独刑 懲役三年の実刑判決 高校刑務所に収監 みたいだった。
別にいじめられもせず、さりとて積極的に話し合ったりもせず、
先生も中学の時のような印象的な先生はおらず、みんな事務的な先生であった。
高校でも相変わらず体毛のことを気にしていて、どんより沈んでいたし。
まったく、高校なんて嫌だったけど、今にして思えば、その時の孤独が俺を強靭にしたのである。
孤独の経験の無い者は、大人になっても、ちょっとした孤独であっても耐えられないだろう。
俺は耐えられるぜ、なんせ三年間もずっと孤独だったのだからな。って言っても、やっぱり孤独は辛いけれどもね。
その三年間で、自分を偽らずに生きる下地を積んだように思う。
修学旅行でも、親しい友達などいなかったので、自由行動でも、クラスのあるグループに入った。
そいつらとは友達でもなんでもなかったので、終始きまづかった。班分けなんて、友達のいない者にとっては地獄である。
ただ、そいつらの後を付いて行くだけ。特に面白い話や高校生同士の普通の会話などをした記憶はない。
なんか、事務的な話しかしなかったな。
そういう体験があるから、俺は個人行動が、単独行動が好きになった。
今でもそうであるし、もともとそうなのかもしれない。
周りに合わせたくない、自分の表現をし、自分の道を行きたいのである。
他人に合わせて生きたくないのだ。
とまあ、その他にも覚えていることはあることはあるが、特に紹介せんでもよかろう。
とにかく、私の高校生時代は不遇の氷河期だったのであった。
そういう時期を生きたので、もう嫌になって、田舎に住みたいと思うようになった。
人がたくさんいるところは嫌になったのだ。出来るだけ一人でいたく思った。
だから、田舎に隠遁したく思った。
それで、登山部だったので、杉の山やヒノキの山などを見てきていた俺は、田舎で林業でもして暮らそうかと思った。
だから、両親には反対されたが、岐阜の林業の二年制の専門学校に進むことにした。
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