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『色々な疑問への回答D』

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色々な疑問への回答D




問い:アメーバから今日の人類に至る進化の過程のどの段階において、霊的存在としての人が登場したのか?
最初の細胞の中にすでに宿っていたのか?

答え:質問が人類としての個霊のことを意味しているとしたら、それはアメーバの段階ではまだ存在していません。
しかし、生命のあるところには必ず霊が存在します。なぜなら霊とは生命そのものであり、生命とはすなわち霊だからです。
最も原始的なものから最高の組織体へ、
つまり最も単純なものから最も複雑なものに至るあらゆる発達過程と生命形態を通じて霊が顕現していると言えます。

人間的要素はアメーバの段階的発達の中で発生します。そして人類へ向けて絶え間ない発達過程を続けます。
そして人間としての意識に目覚めた段階で、つまり自我意識を持つに至った時に、いわゆる人間となります。
しかし、進化は絶え間なく続いているのです。進化に始まりの一点というものはありません。
常に始まりであり、終わりがないのです。なぜなら進化とは完全へ向けての永遠の過程だからです。

問い:霊はどの段階で身体に宿るのか?受胎の瞬間か?それとも胎動期つまり十八週頃か?

この問題はこれまで何度も尋ねられました。そしていつも同じお答えをしています。
生命は受胎の瞬間から始まります。そして生命のあるところには必ず霊が存在します。

受胎の瞬間から霊が宿り、そこから個性が発達していくということか?

個性という用語を持ち出されるとまたややこしくなります。生命は霊であり霊は生命です。両者は二つにして一つです。
受胎と呼んでいるものは、そこに生命があるということを意味します。受胎がなければ生命は存在しません。
したがって霊は受胎の瞬間に物質に宿ることになります。

その後の発達の問題ですが、これは環境条件により異なりますのでさらに問題がやっかいです。
受胎時に宿る霊も、霊としてはそれまでずっと存在していたのです。
ですから、個性の問題は、その個性よりはるかに大きい霊全体のどの部分が表現されるかの問題となります。

受胎時のどの段階で人となるのか?
胎内生活の正確に何ヶ月目から人となるのか?三ヵ月後の胎児はすでに人と呼べるのか?

受胎の瞬間から生命が存在し、したがって霊が存在します。流産とか中絶とかがあっても、それは生命を破壊したことにはなりません。
その生命の表現の場をあなた方の世界から私達の世界へと移しただけです。

子宮内の生命もれっきとした人だというのか?

潜在的には受胎の瞬間から人であり、人間性のすべてを宿しています。

受胎の瞬間から?

受胎の瞬間から身体的機能のすべてを潜在的に宿しているごとく、霊的機能もすべて宿しています。
霊的機能が存在しなければ身体機能も存在しません。物質は霊の影だからです。

ということは、霊は誕生に際して地上で使用する身体を自ら選択する自由はないと理解してよいのか?

それは正しくありません。逆に、霊はあらゆる自由が与えられています。
大半のケースにおいて、霊は地上ではたさねばならない目的をもって生まれてきます。
そしてその仕事に合った身体に宿ります。
ただ、自分は地上でかくかくしかじかのことをしようと決意したその仕事に実際に目覚めるまでに相当な時間を要します。

物的身体に関連しての言葉

誕生の瞬間から肉体は死に向かいます。この現象は誰にも変えられません。
もともと肉体は不老不死を目指すようには意図されていないのです。本性そのものが(はかな)い存在であることを自覚しています。
従わねばならないサイクルというものがあるのです。まず、ゆっくりと機能的成熟を目指します。
成熟すると同時に、やはりゆっくりと、全機能が衰えはじめます。
そして、リンゴが熟すると自然に木から落下するように、肉体も与えられた寿命をまっとうして死を迎えます。
何度も申し上げているように、人は本来そうなるように出来ているのです。
私達霊界の者も完全ではありません。まだ霊的進化の頂点を(きわ)めた訳ではありません。

まだまだ延々と先が続いています。
しかし地上での仕事を困難にする物的条件に直面した時は、私達に出来る限りのエネルギーを活用して、その克服に努めます。
いつも申し上げ、これからも繰り返し申し上げることでしょうが、私達といえどもすべての知識を手にしている訳ではありません。
無限に存在するからです。
しかし、地上のあなた方は私達にない肉体的条件により制約を受けていますから、手にすることの出来る知識はきわめて限られています。

こう述べてから、出席者の一人で非常に疲れた様子をしている人に向かって−

休息が不足すると身体がその代償を支払うことになります。
その代償の度合が大きすぎると、完全な休息を要求されて、あなたは床につかねばならなくなります。
各人各個の責務という教理を説きながら、その働きに例外があるかのようなことを申し上げる訳にはまいりません。
無理して一度に多くのことをしてはいけません。肉体は所詮は機械です。その限度を超えたことを要求してはなりません。

疲れすぎると床につかねばならなくなるとおっしゃっていますけれど、休む訳にはいかないこともあります。
休まなくてはいけないことは分かっていても、世話をしてあげなくてはならない人達との関係においては、
自分より気の毒な状態にあるのを見ていながら自分だけ休む訳にはいきません。


自然の摂理の働きは変えようにも変えられません。私には皆さんに対する愛があります。
もし無かったら今こうしてここにいることもないでしょう。私達にとり地上という世界は何一つ魅力はありません。
なのにこうして戻ってきて皆さんの中に混ざって皆さんと共に仕事をするのは、皆さんに対する愛があるからです。
そうすることで何の利益を受ける訳でもありません。
私達の多くにはこれまでに身に付けたものを惜しげもなく犠牲にして皆さんのお役に立ちたいという願いがあるのです。

私達は情愛に満ちた心で皆さんを愛しています。
しかし、だからといって皆さんの都合のよいように摂理を変えてあげる訳にはいきません。
皆さんは肉体という機械をお持ちです。どんなに優秀な機械でも休息が与えられます。
皆さんの肉体のように片時も休むことがないという機械は他にありません。機械は休ませないと故障します。

肉体はあなたのものですから、その健康管理はあなたの責任です。
神はそのための能力として知性と理性とを与えてくださっております。
宇宙の摂理について知り得た限りの真実を有りのままに述べている私を責めてもはじまりません。
私は、私が間違いない真理だと信じたものを欺くようなことは申せません。
目的とすべき理想、霊的真実に基づいた処生訓、それを忠実に人生に応用すれば、
霊としての当然の遺産であるべき豊かさをもたらしてくれるもの、それをお教えするだけです。

最終的にどう決めるかはあなたご自身です。私も出来る限りの援助はします。
しかし、時として私達にもいかんともしがたい状況というものが生じます。
あなたの自由意志を無視する訳にはいきません。
側に立ってあなたがすることを見つめるしかないことがあります。
あなたの霊的進化にとってはあなた自身による決断が重大な要素となるからです。

その際には摂理にもとることをしても許されるのか?

その時の動機が大切な要因となります。

でも、人間生活においては愛する人を救わんがために、悪いと知りつつも善意から、
摂理にもとる行為をせざるを得ないというケースも有り得るのではないか?

私に申し上げられることは、あくまで摂理は摂理であるということが摂理である、ということだけです。
摂理は摂理であるがゆえに、その摂理どおりに働くしかありません。
もしも私が原因と結果の関係に干渉することが出来るとしたら、これは大変なことになります。
良かれと思ってしても、結果的には大変な害をもたらすでしょう。
摂理は完璧に出来ているのです。定められた通りに働くのが一番良いのです。

事態を収拾するために様々な法則を集中的に動員することがあると言われたことがあるが?

あります。絶望的境地に陥った時に救ってさしあげた方が皆さんの中に何人かいらっしゃいます。
私達が干渉できないのは原因と結果の関係です。また、いわゆるお情けというものも一切ありません。
私は指導霊としての立場から、あなたの身体が機械であることを指摘しているのです。
休ませてやらねばならないことがあることを申し上げているのです。疲労が度をこすと機能が停止します。
停止すると再び機能を回復するまで床についていなければならなくなります。

私がつくづく思うのは、これまでに啓示していただいた真理の素晴らしさをみて、我々一同は本当に恵まれた者達だということです。
それに加えて我々は又、霊力の素晴らしさを見ることが出来ました。
事態を一変させ、進むべき道を指し示し、導きを与え、
各自が天命をまっとうするための理想の生き方を教えてあげることが出来ることを知りました。
これは、ただごとではない大切なことです。

肉体は霊が自我を表現するための道具です。存分に発揮したいと思われれば、十分な手入れをしなくてはなりません。
疲労が重なると本来の機能が発揮できなくなります。
そこで神は、その無限の叡智により、肉体を休息させ、活力を取り戻させるための【睡眠】を用意したのです。

地上の四季の移り変わりをよく御覧なさい。秋になると大自然は冬の眠りのための準備をし、
春になると目覚め、夏にその壮観を披露します。人体も同じです。
休息により元気を回復しなければなりません。休息はぜひとも必要です。

ここで疲労により健康を害している二人の出席者にこう説いた。

無理をしていることを知りつつも無理を重ねて、結局中途で倒れる人がいるものです。
倒れたら休息をするほかはありません。私達はあなた方に自助の心構えを説き、霊と精神に関わる摂理だけでなく、
その肉体を支配している生理的法則にも絶対的に従わねばならないことをお教えします。
それを忠実に守り、霊と精神と肉体が調和状態にある限り、あなた方は健康であり健全です。

どうやら私は言うことを聞かない部類に入るようです。

言うことを聞くようにと、神は二つの耳をお与えになったのです。各個の責任というのは大切なことです。
異論や反論の余地のない真実が秘められているからです。
あなた方は他人のすることではなく自分のすることに自分一つで責任を取るのです。
あなたの責任を免除してくれるものは誰一人、何一つありません。
注意を怠れば、それだけの代償を自分が支払わねばなりません。それが原因と結果の自然法則です。

各自に責任があることは知識としては知っていましたが、これまでは他人事のように考え、
自分の問題として真剣に自覚したことはありませんでした。これからは心がけようと思います。


ぜひ心がけてください。あなたが自覚するしないにおかまいなく、自然法則は働き続けるものだからです。
冷淡なのではありません。法則として定められたように働かざるを得ないのです。
それは、私達がこの仕事を定められた一定の線に沿って、進めざるを得ないのと同じです。

このサークルのメンバーの方には常々申し上げていることですが、私達霊団は、私達のやり易い時に、
私達のやり易い方法でやるしかありません。あなた方の都合に合わせるわけにはいかないのです。
あなた方と同じように私達も、霊的にみてこれは是非やらなくてはならないと判断したことを行うに際して、
やはり一定の法則による制約を受けています。皆さんの生活を陰で操ることは出来ます。物質を動かすことも出来ます。
必要とみれば金策もいたします。しかし、それも一定の自然法則に従って行わねばなりません。

いつも申し上げることですが、人は自分で正しいと判断したこと、良心が命じたことに素直に従わなくてはいけません。
最終的には自分自身が裁判官なのです。反省してみて自分の行ったことはすべて正しかったか、
どこかに間違いはなかったかを自分で判断することが出来るようになっています。動機さえ正しければ絶対に間違っていません。
何よりもまず動機が最優先されるのです。

あなた方も元来が霊的存在であって、それが今は物的身体を通して自我を表現しているにすぎないという、
この基本的真理を常に念頭に置いてください。霊をたずさえた肉体ではなく、肉体をたずさえた霊だということです。
その認識のもとに内部の霊性を出来るだけ多く発揮することになるような生活を心がけることです。

寿命の問題

自らも霊媒である人が招かれて、この高級霊と語り合った中で、
「人生は目まぐるしく過ぎていくのに、やりたいことは山ほどあります」と述べると、高級霊はこう語った。


人生を達観することが大切です。あなたが生まれるずっと以前から質実剛健な先輩がいて道を切り開いてくれていたこと、
その人達もその仕事の大変さを痛感して、自分達の地上生活が終わった後はどうなるのだろうと案じていたのです。
しかし、その人達が巨木や巨石を取り除いてくれていたからこそ、その道をあなた方はその人達よりより楽に通れるのです。
そこであなたがさらに幾つかを取り除けば、それがあなたとしての貢献をしたことになります。
あなたの後にさらに次の人材が用意されることでしょう。
そしてその人達がさらに多くのものを取り除いていけば、やがてきれいな道が出来上がります。

地上は体験学校のようなものです。その地上世界は完全ではありません。あなた自身も完全ではありません。
あなたはその不完全な世界で少しでも多くの完全性を発揮しようとしている不完全な存在です。
ですから、自分なりの最善を尽くしておれば、それでいいのです。その以上のものは要求されません。

縁あってあなたのもとを訪れた人に真の自分というものに目覚めるきっかけを与えてあげることは重要な意味あることです。
つまり人が神に似せて作られていること、言い換えれば神と本質的に同じものが内在していること、
その資質を発揮することにより生活に美と愛と光輝をもたらすことが出来、
それがすべての体験を価値あるものにするということを理解させてあげることです。

ですから、仕事上の厄介な出来事を、神が与えてくれた挑戦のチャンスとして感謝して受け止めることです。
それを処理していくことで結果的にあなたがそれだけ霊的に成長するのです。
もしも仕事仲間の中にあなたの信念についていけないという人がいたら、
もしもその人の信念に迷いが見え始めたら、その時は構わず見棄てることです。
果たすべき大目的についての荘厳な洞察力を抱き続けている人とのみ仕事をなさることです。

問い:人の寿命は前もって決められているのか?それとも肉体の強健さ、そのほかの要因の問題なのか?

答え:肉体の強健さなども寿命を決定づける要因の中に入っています。物的身体構造すなわち肉体は、
霊が成長するための地上的体験を得る上で無くてはならないものです。霊と肉体とは一体不離です。
そして地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合、あらかじめ分かっています。

肉体を霊から切り離して考えることは出来ません。肉体は霊に制約を加え、
霊は肉体に生命を与えるという具合に、両者は切っても切れない関係にあります。
一個の存在を構成している二つの要素を分離して考えてはいけません。
あなたという存在は数々の要素が互いに反応し合いながら一個の総合体を構成しているのです。
すべての側面が融合し結合し混ざり合って、あなたという一つの統一体すなわち霊魂を構成しているのです。

問い:寿命が定まっているということから出る疑問なのだが、もしも、例えば千人の乗客が一度に溺死した場合、
その人達は皆その特殊な時期に死ぬことになっていたということになるのか?
つまり彼らの魂の成長のため定められた寿命は同じだったのか?


答え:問題は用語です。あなたは今定められた≠ニいう言い方をされましたが、そういう言い方をすると、
では一体誰が何を基準に、という疑問が生じます。
そして多分その裏には神によって摩訶不思議な方法でそう仕組まれるのだという漠然とした考えがあるはずです。
しかし、そういうものではありません。生命現象の広大なパノラマの一つ一つが自然法則により支配されているのです。

地上の科学者がいかなる説を立てようと、いつかは必ず肉体に死が訪れます。
それは霊を解放するという役目を果たすことになるのです。つまり肉体の死は肉体の誕生と同じです。
前者は霊の退場≠ナあり、後者は入場≠ナす。

地上では死を悲劇と考えますが、私達霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。
なぜなら、魂の霊的誕生を意味するからです。地上のあらゆる悩み事からの解放です。
よくよくの場合を除き、死は苦労への褒賞であり罰ではありません。
死は何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。
生命現象に不可欠の要素であり、魂が自我を見出すための手段と見なすべきです。

命日は記念すべきか

招待客が友人からの質問として
「悲しい命日は心の(いた)みを呼び覚ますだけだから愚かで無意味だという考えはいかがでしょうか」と述べ、
それに自分の考えとしてこう付け加えた。
出席者「今さらどうしようもないことは分かっているのに年に一回、心の傷みを思い出すのは間違いだと思います」

その質問者のいう悲しい命日≠ニいうのは何のことでしょうか?

故人が亡くなった日です。その日に何もしたがらない人がいます。改めて悲しい思いをしたくないのだと思います。

誰にとって悲しいのでしょうか?

その人を失った家族です。亡くなった本人ではありません。
私はあなたのお考えに同感です。亡くなった人を悲しむのは一種の利己主義だと思います。

一種の自己憐憫(れんびん)の情です。自分自身への哀れみであり、愛する者を失ったことを嘆いているのです。
苦の世界から解放された人のために涙を流すべきではありません。
もちろん地上生活が利己的すぎたために死後も相変わらず物質界につながれている人(自縛霊)がいますが、それは少数派です。

大部分の人にとり死は牢獄からの解放です。新しく発見した自由の中で、潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。
無知の暗闇でなく、知識の陽光の中で生きることが出来るようになるのです。

過ぎ去った日々の中に悲しい命日をもうけて故人を思い出すとおっしゃいますが、一体何のために思い出すのでしょう。
そんなことをして、その霊にとってどんな良いことがあるというのでしょうか。何一つありません!
過ぎ去ったことをくどくど思い起こすのは良くありません。それよりも一日一日を一度きりのものとして大切に生き、
毎朝を霊的に成長する好機の到来を告げるものとして、希望に胸をふくらませて迎えることです。
それが叡智の道です。

肉体に宿っているとそれが悟れないのは悲しいことです。
みんな物質に惑わされて、物的なものには価値がないことが理解できないのです。
そういう人にとって人生は舞台劇のようなもので、カーテンが下りるとそれでお終いです。

それは要するに無知と知識の差です。
そこで私どもは出来るだけ知識を広め、その境界線を出来るだけ広げていくように努力しているのです。
知識を手にすれば、人生を正面から見つめ、そして悟ります。無知のままでいることは暗闇の中にいることです。
私達はひたすら力になってあげたいと願っているだけに尚のこと嘆かわしく思えるのですが、地上の人々が無知と偏見と、
自らこしらえた迷信という壁に取り囲まれているために、それが目覚めを阻害して、容易に破壊できないのです。
その厚い壁は真理も突き通せないのです。嘆かわしいと表現したのは、その人達の身内の人でも手の出しようがないからです。
そこで死後しばらくはベールのそちらとこちらの双方に悲しみがあります。しかし、地上を去った者のために涙を流すことはありません。
その事実を認識し、受け入れることにより、死んでいった者を引き止めるようなことが無くなります。
感情的障壁をこしらえなくなります。精神と霊を正しく調整することが出来るようになります。

一つの人生の旅が終わったのを見て悲しく思うのが人の情だと思うのです。
それは一時的な情ですから、たとえ悲しんでも、死を嘆いているのとは違うと思うのです。


私の世界へやってきた人は死が階段を一つ昇ったことを意味すること、大きな解放を得たことを理解します。
潜在的能力を発揮するチャンス、地上でなし得なかった仕事をするチャンス、
かつては考えられなかったほど生気はつらつとした生活が出来るチャンスを得ます。
もちろん地上生活に断絶が生じたことに悲しみの情を覚えるのは当然です。
しかし、他界して行った者に何ら悲しむべきものはないという事実を知ることにより、その悲しみを少しでも小さくすることは出来るはずです。
無理な要求をするようですが、私達は常に皆さんに対して理想を目標として掲げなければならないのです。

問い:愛し合う二人のうち片方が先に他界した場合、
残された方が後に他界した時に間違いなく幸せの楽園が待ってくれていると考えてよいか?


答え:その通りです。ただし、互いに愛し合っていた場合のことであり、一方的な愛ではそうはなりません。
愛はその対象から切り離して存在することは出来ません。地上というのはほんの一時的な生活の場にすぎません。
肉体に不老不死はありません。
ですから、いずれは地上を去る時が来るのであれば、いよいよその時(死期)が近づいた人を祝ってあげるのが本当なのです。
そして又、いずれは自分も後から行って、地上では想像も出来ない、
より大きな光明と美と驚異の世界で一緒に生活することになることを知ってください。

そのことを私達は物的観点から考えなくてはならないところに難しさがあるのです。
死ぬまで待つことになりますが、ただ待ってはいられない−色々と生きるためのことをしなければなりません。
生き続けなければならないのです。その辺がとても難しいのです。


霊的真理を物的観点から考えるとなぜ難しくなるのでしょう?

私達は物的存在だからです。

でも本質的には霊的存在です。物的身体をたずさえているというだけです。あくまでも霊が上位で肉体は下位です。
そうした観点から、お手持ちの知識に照らして、正しい判断を下さねばなりません。何事も価値あるものは困難がつきまとうものです。
霊的褒賞が簡単に手に入るとしたら、それは手に入れる価値はないことになりましょう。

死後の世界について多くのことを聞かされていても、死後に備えた生き方を心がけている人は少ないように思います。
本日お聞きしたことを肝に銘じて、たとえばテレビばかり見ていないで、美術とか工芸に手を染めるなどして今から準備を始めるのも
一つの生き方だと思うのですが、何か良いアドバイスをいただけますか?


その問題は結局は悟りの問題に帰着します。あなたが肉体を携えた霊的存在であること、地上はいつまでも住み続ける場ではないこと、
物的なものは儚い存在であることを悟れば・・・もしもあなたが、死後、霊としてのあなた、不滅のあなた、神性を宿したあなたが蘇って
永遠の進化の旅を続けることの意味を悟ることが出来れば・・・もしもあなたがそうした悟りに到達すれば、
そしてそこで叡智の導きに素直に従うことが出来れば、あなたは自然に死後の生活に備えた生き方をするようになります。
あなたの行為はすべてあなたが到達した霊的自覚の程度により支配されるのです。

事故・災害による死

問い:霊的発達程度におかまいなく地震などにより一度に何千、何万もの人が死んでいくのはなぜか?

答え:なぜあなたは死をそんなに(わざわい)のようにお考えになるのでしょうか。
赤ん坊が生まれると地上ではおめでたいこととして喜びますが、私達の方では泣いて別れを惜しむこともしばしばなのです。
地上を去ってこちらの世界へ来る人を私達は喜んで迎えます。しかし、あなた方は泣いて悲しみます。
死は大部分の人にとり悲劇ではありません。しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかくも死は解放をもたらします。
死は地上生活が霊に課していた束縛の終わりを意味します。

あなた方はどうしても地上的時間の感覚で物事を見つめてしまいます。それはやむを得ないこととして私も理解します。
しかしあなた方も無限に生き続けるのです。たとえ地上で六十歳、七十歳、もしかして百歳まで生きたとしても、
無限の時の中での百年など一瞬の間にすぎません。

大自然の摂理の働きに偶然の出来事というものはありません。あなたは霊のために定められた時期に地上を去ります。
しかも多くの場合その時期は、地上へ誕生する前から霊自ら選択しているのです。

地震その他の災害の話に戻りますが、その災害で生き残る人がいます。
しかし、その人達はそれから他界するまでの永い年月を苦しみながら生きることがあります。
例えば家を失ったまま我が家を持つことなく生涯を終える人もいます。
そうした場合、その人達はそういう体験を得るためにその土地に生を受けたのでしょうか?


地上生活にまつわる幸せとか不幸のあらゆる体験から逃れることは出来ません。
明るい側面と同時に暗い側面も体験しなくてはなりません。(はす)(うてな)≠フ生活では魂は成長しません。
困難と闘争と危機の時にこそ魂は自我を発揮するのです。あなたにそれが得心できないお気持ちは分かります。
地上的感覚でお考えになっているからです。しかし永遠の観点から見れば、恵まれた条件よりも困難な事態の方が有り難いことなのです。

別の日の交霊界でもこう述べている。

私達の世界の素晴らしさ、美しさ、豊かさ、その壮観と光輝は、地上のあなた方にはとても想像できません。
それを描写しようとしても言葉が見出せないのです。ともかく私は矛盾を覚悟の上であえて断言しますが、
死≠ヘ独房の扉の鍵を開けて解放してくれる看守の役をしてくれることがよくあるのです。
地上の人は皆いつかは死なねばなりません。摂理により、永遠に地上に生き続けることは出来ないことになっているのです。
ですから、肉体はその機能を果たし終えると、霊的身体とそれを動かしている魂とから切り離されることは避けられないのです。
かくして過渡的現象が終了すると、魂はまた永遠の巡礼の旅の次の段階へと進んでいくことになります。











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